おだがいさまセンターについて

 2011年3月11日の東日本大震災(地震、津波、原発事故)以後、全町避難を余儀なくされている富岡町民の生活復興支援を目的に事業を展開しています。

 2011年3月12日に、東京電力福島第一原子力発電所の爆発により、原発から半径20キロ圏内にある富岡町は川内村に避難しましたが、16日、川内村も半径30キロ圏内と言うことで避難指示が出され、両町村は郡山市にあるビッグパレット(県産業交流館)に避難しました。県内最大の避難所となったビッグパレットは、最大時約2800名の避難者が入り、通路や階段も人で溢れました。突然、住み慣れた土地を離れ、これまでのコミュニティもバラバラになり、「明日」の事が全く見えなくなった状況は、町民の心を「不安」と「怒り」と「疑心暗鬼」に駆り立てました。

 「このままでは人が死ぬ。」…福島県庁から派遣された復興チームの職員と富岡町川内村の社会福祉協議会の職員達は、この混乱から人々の命を守るために、避難所内に「ビッグパレット内生活支援ボランティアセンター」を立ち上げ、通称「おだがいさまセンター」として5月1日開所しました。

 「食べる」「並ぶ」「寝る」ことしかないような避難所生活が続く中、おだがいさまセンターでは、館内に「女性専用スペース」を作り、女性の着替え、乳児への授乳、女性特有の悩み毎の相談などができる場所を確保しました。これをきっかけに、喫茶コーナーが立ち上がり、ビッグパレット敷地内の除草、花植えなど、避難者自らが生活復興に向けて動き出す活動が始まりました。

 限られた避難所の中ですが、「おたがいさま」の精神で「人間としての生活」を取り戻そうと動き始めたのです。(ちなみに、なぜ、「おだがいさま」というのか?という質問を受けますが、設立当時のスタッフは、「富岡町民は決しておだがいさまとは言わない。おたがいさまと言う。」と主張しています。当時の県庁復興チームのリーダーだった天野和彦氏が名付け親らしいのですが。今ではオリジナリティもあり、すっかり定着しています。)

 2012年2月15日、おだがいさまセンターは、ビッグパレットから現在の富田町若宮前32に新築移転し、多くの町民や支援者の出席の下、「開所式」を開きました。

 「交流と自治」「生きがいと希望つくり」「情報の発信と共有」「震災を語り伝える」ことを活動の柱として、富岡町の生活復興支援の事業を続けています。

 おだがいさまセンターの事業

  1. 交流の場を提供する。
  2. 自治活動を支援する。
  3. 生きがいと希望作りを支援する。
  4. 情報の発信と共有を実施する。


事業統括 交流と自治に関する事業
交流活動への支援
自治会活動への支援
生きがいと希望作りに関する事業
物作り活動への支援
生きがい作り活動支援
畑隊活動支援
情報活動に関する事業
情報紙「笑(えみ)~る」の編集発行に関すること
HPの更新管理に関すること
災害放送局の運営に関すること

ページ上部に戻る